2012年2月24日金曜日

「モルドバ独立20年祭・帰国報告ツアー」in早稲田大学 取材報告

「モルドバ独立20年祭・帰国報告ツアー」 in早稲田大学 取材報告
広報委員会 相馬威宣(新制13回)

http://www.interq.or.jp/white/mirage-k/(モルドバ復興支援協会)
報告者:早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程 川村容子(新制56回)



1. はじめに
早稲田応用化学会WEBサイトの「様々な分野で活躍する卒業生」の一人として平沢 泉教授のご推薦でモルドバ復興支援活動を数回紹介している川村容子氏(注1)が2011年9月10日(土)『モルドバ独立20年祭・帰国報告ツアーin早稲田大学』と題して報告会を開催した。本報告会は、モルドバ共和国独立20周年を節目として同共和国と歴史的な関わりの深い早稲田大学に感謝の意を表して、モルドバ復興支援協会および早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC, 2002年4月設立)(注2)との共催で大隈記念講堂小講堂にて行なわれた。
初めに主催者側としてモルドバ復興支援協会 事務局長 沓澤正明氏およびWAVOC事務長 外川 隆氏から挨拶があり、続いて、来賓として2004年ルーマニア文化功労コマンドール勲章を受章された著名なルーマニア文学者の 住谷春也先生からお言葉を頂戴した。
なお、僭越ですが、多忙な報告者からの要請により取材する機会に恵まれた筆者がその概要を報告することをご了解いただきたい。

2.報告の概要
今回、「チェルノブイリ原発事故25周年を機に振り返るモルドバ共和国の農村の子供たち」-カザネシュティ村の子供デイケアセンターの現状と将来展望- と題する川村容子氏のメイン報告の中で新しい活動、すなわち、彼女の申し出により モルドバ共和国内に設立された奨学金制度「さくらこ基金」の紹介と協力支援要請、新たな支援グループとして参加された学習院大学および学習院女子大学チームの最近のモルドバ研修報告が追加された。
また、報告会の前後にボランティア精神のある平和を願うアーティストたちによる演奏(アーティスト:モルドバ復興支援協会の武田有賀氏のピアノ演奏および作曲家で和太鼓奏者の井上英樹氏を中心に第一線で活躍する若手邦楽演奏家の山田路子氏(横笛)および椛沢かすみ氏(バイオリン)からなるNew Asian Orchestra『天河』)の演奏が行われた。
今回、報告者は、冒頭、この教育支援活動に参加することになった発端および早稲田大学とモルドバ共和国の関わりについて説明され、引き続きモルドバ共和国の国情(文化、芸術、政治、経済等)についてふれ、2005年2月から経験した子どもデイケアセンターの活動について詳しく説明された。

3.報告者がモルドバ共和国復興支援に関わった経緯
早稲田大学とモルドバ共和国との関わりは、1970年代に始まる。本学は、モルドバ共和国の公用語とされるルーマニア語(正確にはモルドバ語;ルーマニア語の方言。)の講座を1970年代半ばより、先進的に設置した。この講座で最初に教鞭を執った(~1990年)のがモルドバ人野村タチアナ女史であった。女史は日本におけるルーマニア語教育の先駆者であっただけでなく、ロシア語教育においても多くの功績を遺しました。日本を代表するロシア関係の学者で女史からロシア語を学んだ者も多い。2008年現在、大学機関でルーマニア語講座を開講している大学は本学を含めて3校にすぎないが、本学にて現在も尚、女史の功績が遺されています。
野村タチアナ女史の祖国への愛着は、本学ルーマニア語講座の教え子にも継承されました。本学OBで、タチアナ女史の教え子であった根田芳夫氏は、ソビエト崩壊とともに独立を果たしたにもかかわらずモルドバ共和国が貧困に喘ぐ惨状を知る。根田氏は、モルドバ復興支援協会(民間支援団体)の会員となり、2005年1月、WAVOC(平山郁夫記念ボランティアセンター)内「ボランティアプロジェクトの種」として「モルドバ共和国『子供デイケアセンター』支援ボランティア」を立ち上げました。この立ち上げには、氏の旧友で、現WAVOC事務長(当時早稲田大学総務部員)外川 隆氏の助力が深くかかわっています。
自己紹介の中で報告者は、応用化学科B3の2005年2月、WAVOCのモルドバボランティア募集の提示に興味抱き、モルドバ教育支援『子供デイケアセンター』活動を開始し、同年11月にWAVOCとモルドバ復興支援協会との共催で早稲田大学にて開催された報告会で司会を務めました。
このような経験を踏まえて学部時代に教職課程を選択し教員免許を取得していた報告者は、2006年5月教育支援のためにモルドバ共和国を初めて訪問した。モルドバ人の温かさと彼らが誇り高く詠う詩の響きの美しさに感動し、モルドバ共和国をもっと知りたい衝動に駆られたとのことです。
『子供デイケアセンター』において日本語を教える教職実習の際、モルドバの子供たちが真剣な態度で自分の話を聞いてくれたことがとても嬉しく、心に遺っていたこともあり、化学で身を立てることに未練を残しつつ2006年3月、応用化学科を卒業後、情熱を以て人を育てることに専念する決心をして2007年4月早稲田大学教育学部教育学研究科専攻博士前期課程に進学、小林敦子教授のご指導のもと毎年モルドバ共和国を訪問して教育支援活動をつづけ、国際的な教育支援や人道支援について2年間研鑽し、『モルドバ共和国における活動と詩を通じた民族意識に関する研究』を修士論文に纏めました。この研究論文とモルドバ共和国へのボランティア活動が高く評価され、博士前期課程で日本学生支援機構から貸与されていた奨学金全額が返済免除になり、ルーマニアへの留学を考えて大切に貯めておいた。モルドバ復興支援活動への情熱は断ち切りがたく、2009年4月同博士後期課程に進学したものの休学して同年10月から2011年6月までルーマニアのヤシ(IASI)にあるAlexandru Ioan Cuza大学文学部設置の留学生のための語学・文化講座に聴講生として留学しルーマニア語とその文化を学びました。

4.モルドバ共和国独立後の状況
旧ソビエト連邦崩壊と共に1991年8月27日に独立をしたモルドバ共和国は、多民族国家で、人口は360万人(2008年)でルーマニア系(78%)、ウクライナ系(8%)、ロシア系(6%)、その他(ガガウズ人、ロバ人)から成る。公用語は、モルドバ語(ルーマニア語の方言、76.5%)でその他、ロシア語(11.2%)、ウクライナ語(5.5%)ガガウズ語(4%)が使われている。独立後の政治は、スネグル大統領(91.7~97.1、独立党、親ルーマニア派)ルチンスキー大統領(97.1~01.4、モルドバ自由党、)、ボローニン大統領(01.4~09.9、モルドバ共産党、親ロシア派)。現在は大統領不在で、首都キシナウ市長は、自由党と共産党との争いで自由党が勝利した。しかし、実質的にロシアに主導権を握られた政治と経済構造により高い利益を上げる企業は、国有化され、貿易ルートは、ロシアが多くを掌握し、自由競争が妨げられているなど不安定な状況です。
モルドバ人にとってルーマニア語は、誇りであり、その響きの美しさが他言語を話す者をも魅了すると自負することが多い。1989年8月31日は公用語がルーマニア語とされた日でモルドバ国民は、Limba Noastră(我らが言語)という休日を設け祝賀している。因みに、国歌は、1994年に採用されたLimba Noastră(我らが言語)である。地理的には図示されているようにルーマニアとウクライナに挟まれた内陸国で、緯度としては北海道よりやや北に位置し、思いっきり伸びをすると天と自分がつながっている感覚になるような広大なモルドバ草原が魅力である。
同共和国は、1986年に隣国ウクライナのチェルノブイリ原発事故で大きな被害を受け、現在でも被爆の爪痕が残っている。すなわち、生まれながらに癌、知的障害、腎臓病などの基礎疾患をもつ人に出会う。これはチェルノブイリや旧ソ連時代の大規模農業の効率化のために過剰に散布された残留農薬の影響とも考えられ、最近では地下水汚染の懸念があり、水質検査の必要性が浮上してきている。
産業は、広大なモルドバ平野における農業が主体であり、秋には腐るほどブドウが採れ、モルダヴィアのワインの系譜につながるワインが、名産品として造られワイン祭りが行われる。しかし、政府による立て直しは積極的には行われていない。物価は極めて高く、農村部では下水道のインフラが整備されておらず、道路も舗装されていない。

独立後、民主化への移行により、旧ソ連の統制経済の枠組みの外に置かれることになったことから、経済混乱に陥った。コルホーズは解体され、農場や工場は建物を残し機材・人材はモスクワに引き上げられた。職を失った親の多くは子どもをモルドバに残し、優秀な人材は、サラリーの高い国外(言葉の関係等からロシア、イタリア、カナダが多い)へ出稼ぎに行き、戻ってこない状況が続いている。更に、その後も政治家の汚職や利潤の独占等により国民の経済は困窮し、欧州の中で最貧国の一つとなり、人身取引の問題までも浮上しました。子供の75%は、教育熱心な親戚あるいは隣人によって育てられていて、その傾向は農村部で顕著である。
他方、モルドバの特徴は高い教育水準にある。ボランティア・ムーブメントにおいてはアジア・アフリカとは異なり、モルドバを含む旧ソ連圏諸国の識字率の高さは100%に近く、教育制度は整備されているので寺小屋式ムーブメントではなく、駆け込み寺式ムーブメントが望ましいと考えられた。特に農村部において子どもが不登校になるケースが多く、貧困による親の国外出稼ぎ(40%)が深く関与している。すなわち、経済困窮状況下、教育上、親の国外出稼ぎは、子どもたちに親の保護を受けていないという精神的孤独、親の暴力や離婚による精神的ショック、家事が忙しく、沢山の宿題を教えてくれる人がいないので勉強についていけず、落ちこぼれの子どもとなる。しかし、どの親もできるだけ子供に教育を受けさせたいという気持ちが強いことも事実である。

5.カザネシュティ村「子供デイケアセンター」について
現地からの要請により、1997年、神戸にモルドバ復興支援協会(代表;沓澤美喜)が設立された。その目的は、モルドバ共和国の精神文化と経済を復興させることにあり、モルドバ政府が実施したくても経済的事情から実現できないような分野を支援することである。具体的には、子供の精神的ケア、宿題のフォロー、物質的援助を行うことにより子供たちを地域で守ることとし、カザネシュティ市長やカザネシュティ学校長の要請を受け、モルドバの著名な教育者セラフィマ・サワ教授とライサ・ブラドゥツアヌ女史(ルチンスキー大統領首席補佐官、モルドバ復興支援協会コーディネーター)および今中由美子(当時モルドバ復興支援協会派遣員) が発起人となり、現地の事情を熟知している知識人が支援プロジェクトを立案し、それをもとに協議を重ね、実現可能なものから順次プロジェクトを立ち上げている。数多くの実績の中、農業NGO「農婦の会」支援、トラクター寄贈、駆け込み寺タイプのカザネシュティ村「子供デイケアセンター」設立・運営が輝かし実績として挙げられる。
カザネシュティ村『子供デイケアセンター』設立の準備は、カザネシュティ小中学校からライサ女史が教室、遊戯室、食堂、台所、食材倉庫を無料で借用し、光熱費の負担(村役場から)の手配をし、学校や村役場関係者と共同してプログラム内容を決定、子供たちの選抜、教師、調理人などの現場人員の選定を行う。日本側は、支援者を募り、チャリティーイベントを開催するなどして資金を調達した。ようやく2004年末に子ども25名、スタッフ6名(教師1名、調理師3名、清掃員1名、保健師1名)で子供デイケアセンターの運営が開始された。ライサ女史は、ガザネシュティ村を月に1回以上訪問してセンター関係者や子供達から話を聞いて教育を行い、モルドバ復興支援協会のメンバーも日本国内で個人の寄付金やチャリティーイベント(週1回のバザー開催など)を実施するなどして活動資金を調達し、随時訪問(3週間/年)し、学用品の支給や日本の文化(ひらがな、かたかな、俳句、詩、歌、折り紙など)を教えている。

プロジェクトの1日は、11時30頃から低学年生が放課後順次センターに参集し、宿題を始める。先生に質問して宿題をチェックします。先生は宿題を丁寧に見てサインをします。13時から14時まで昼食、休憩をとります。14時30分から17時に高学年生は宿題のフォロー、その他のアクティビティ、例えば、モルドバの伝承文化である詩、歌、ダンス、手芸(刺繍)などを教えています。夕方家に帰ります。
このアクティビティで生徒から日本語を教えてほしいといわれ、当初は『あ、い、う、え、お』とかを教えました。帰りにイラストにローマ字で仮名を振ってある資料に興味を示したのでそれを置いてきました。次の訪問時、こちらがびっくりするくらい上達して流暢な発音をし、現地の先生大変な努力をしていることが解りました。このように年に一度以上(滞在期間1~2週間)、何年か訪問を続けるうちに日本に対する愛着が深まったようで初回訪問時とは比較にならないほど人懐っこさも増し、親近感が芽生えてきたことを実感したと述べています。
更に、報告者は、モルドバの伝統的な食事の説明、普段はなかなか見ることができない家畜(家禽、豚)の賭殺を目のあたりにしたことで興味深かったのか詳しく説明されました(豚はふつうクリスマスしか賭殺しないが、特別に見せてくれた。ただし、写真はカットしました)。また、講演中に流暢な?モルドバ語で詩を朗読するなどモルドバ文化に並々ならぬ情熱をもって支援活動を行っていることがその雰囲気から感じられました。

ところで以上のように子供デイケアセンターは運営されていますが、運営資金の都合で定員を制限しているため、特に低学年の入所希望者が多いにもかかわらず、空き待ちの人数が増えてきています。一方、高学年になると家事との両立が難しくなり、家の手伝いのために辞めていく子どもが出てくる等の問題点が浮上してきています。
この対策としては運営資金を増額して定員を増やし、低学年用、高学年用にクラス分けし、生徒の関心に合致したアクティビティが行えるよう次の新しい施策を実施する必要があります。

6.新たなプロジェクト
6-1 奨学金制度(さくらこ基金)の設立
子供たちの学習意欲に感化され、モルドバ共和国カザネシュティ村「子供デイケアセンター」で学習した子どもたちが義務教育終了後も継続して高等教育が受けられるようにするための補助を目的として2009年9月23日に報告者の申し出により本育英会が設立されました。
この原資は、前述のとおり博士前期課程で日本学生支援機構から貸与され、全額返済免除となった奨学金の一部である。すなわち、応用化学科を卒業後、情熱を以て人を育てることに専念する決心をし、2007年4月早稲田大学教育学部教育学研究科専攻博士前期課程に進学、小林敦子教授のご指導のもと国際的な教育支援や人道支援について2年間研鑽し、この間も毎年同共和国を訪問して調査を重ね、「モルドバ共和国における活動と詩を通じた民族意識に関する研究」を修士論文に纏めた。この研究論文とモルドバ共和国での『子供デイケアセンター』でのボランティア活動が高く評価され、博士前期課程で日本学生支援機構から貸与されていた奨学金全額が返済免除になり、ルーマニアへの留学資金として大切に貯めておいた資金の50%である。
支援額が増えるほど笑顔の子供の人数が増えるので「皆様の温かいご支援をお待ちしています」と報告者は要請していました。
なお、さくらこ基金の趣旨に賛同される方は是非とも本育英会の設立目的、プロジェクト遂行法、展望、支援の要請、問合せ先、支援金の送付方法について記載した別紙pdf(注3)をご覧いただき、ご支援賜りたくお願い申しあげます。

6-2. 学習院大学および学習院女子大学の研修報告(2011-09-03~09-06)
4日間の初めての研修旅行(日本語教育やゲーム他のアクティビティ)から帰国されてすぐに大隈小講堂に向かい研修の状況を報告されましたのでその様子を以下に画像でお示しします。

学習院大学の渡辺基郎君が帰国ほやほやで初めての訪問時のルーマニア語話者とロシア語話者についての体験談を披露してくれました。
「初めての訪問なので予め挨拶程度のルーマニア語とロシア語を学んでいきました。ルーマニア語話者(76.5%)とロシア語話者(16.7%)がいることは知ってはいたのですが、顔だけではいずれの話者か区別できませんでした。お店に買い物に行った時や道端であった人にルーマニア語で『こんにちは(ブナ ズィウワ)』と挨拶すると、笑顔で返してくれる人もいればよく解からない様子で無視する人も沢山いました。
ある日、買い物に行った時、ルーマニア語で『こんにちは』と挨拶したが、何の反応もしてくれない。でも商品を渡す時にロシア語で『どうぞ(パジャールスタ)』といいました。そのときこの方はルーマニア語でなくロシア語を喋る方だと解り、物を買った後、ロシア語で『有難う、さようなら(スパスィーバ、ダ スヴィダーニャ)』というと相手もすごく嬉しそうな顔でダ スヴィダーニャと言ってくれました。」

7.ボランティア精神のある平和を願うアーティストたちによる演奏
ボランティア精神のある平和を願うアーティストたちによる演奏(アーティスト:モルドバ復興支援協会の武田有賀氏のピアノ演奏および作曲家で和太鼓奏者の井上英樹氏を中心に第一線で活躍する若手邦楽演奏家の山田路子氏(横笛)および椛沢かすみ氏(バイオリン)からなるNew Asian Orchestra『天河』)が行われた。



8.おわりに
報告者は、2006年5月に初めてモルドバ共和国を訪問して以来現在まで少なくとも年1回以上モルドバ共和国の教育支援と文化交流に献身的(タメに生きる)な活動を続けています。
今回の報告会を聴いた筆者は、東日本におけるモルドバ復興支援活動の認知をより高めることが大きな目的であったのではなかろうかとの印象をもった。
更に、新しいプロジェクトを立ち上げ、自身のボランティア精神により得た資金を奨学金制度(さくらこ基金)設立のために惜しみなく提供した態度は、誠に立派で称賛される。
ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行創設者のムハマド・ユヌス博士や東日本大震災で甚大な被害を蒙った石巻市牡鹿地区の津波被災者の自立のために交流支援を目的に「エコたわし」を編んで販売する活動(http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20120108_08.htm)や父親の遺産をもとにマイクロファンドで東チモールの女性たちに職を与えて地域の活性化を図っている高橋由美子氏のようなボランティア活動とはやや趣は異なるものの、規模は大きくはないが、応用化学会給付奨学金制度に類似した奨学金給付制度を設立した背景には恵まれないモルドバの子供を一人でも笑顔にしたいとする母親のような報告者の気持ちが頭をもたげ、子供達の温かさとモルドバ語の詩の響きに魅了されたからではないだろうか。今後の発展を願ってやまない。
以上のように報告会の状況を記しましたが、紙面都合もあり十分にお伝えできない箇所が多々あったと思いますので、この支援活動にご興味がある方はこちら(注4)をご覧ください。
現在、報告者は、大学院を退学してモルドバ共和国の隣国、ルーマニア大使館に就職して2年間仕事をする傍らモルドバの子供デイケアセンターにおける教育支援と文化交流活動を継続していることをお伝えします。

注1)http://www.waseda-oukakai.gr.jp/sotsugyousei/samazamanabunya/samazamanabunya-01.html#aaa
注2)早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)は早稲田大学の一機関として2002年4月に設立されたボランティアセンターです。早稲田大学の「三大教旨」である「学問の独立」、「学問の活用」、「模範国民の造就」。そのうち後者2つを解釈した「大学としての社会貢献」、「国際社会に貢献できる人材の育成」を担うWAVOCでは、「社会と大学をつなぐ」、「体験的に学ぶ機会を広く提供する」、「学生が社会に貢献することを応援する」という3つの理念を掲げ事業を展開しています。 詳しくはこちら⇒http://www.waseda.jp/wavoc/about/
注3)「さくらこ」基金について
注4)http://www.interq.or.jp/white/mirage-k/MoldovaD201107.pdf



さくらこ基金について

1.前文:本育英会の設立は、この『子供デイケアセンター』を卒業した子供たちが経済的理由から高等教育への進学自体あるいは進学できても精神的・物質的に安定して勉強することが困難であるという実情を受けてなされた。
2.育英会の設立目的:本育英会は、モルドバの青少年が勉学に励むため、精神的および経済的に支援すると共に、勤勉かつ模範となるような青少年に対し、平等に教育を受ける機会を提供することを目的とする。
3.プロジェクト遂行法:プロジェクト遂行の第一段階は、子供デイケアセンター卒業後の後期中等学校、職業学校・専門学校、一般教養学校、単科大学において勉学を継続することを目的とし、主に、テレネシティ県カザネシュティ村の小中学校内で運営している子供デイケアセンターの卒業生に奨学金を給付する。奨学金は、卒業生の経済的事情や勉学進捗状況、勉学意欲を慎重に確認して給付される。奨学金給付期間中の進展を見届けるため、また同時に、勉学を終えるまで勉学意欲を維持するため、卒業生に奨学金を支給している間、継続して連絡を取り合う。
4.展望:第二段階は、モルドバの発展のために、勉学や専門分野を習得しつつ、モルドバの青少年の支援に貢献すること望んでいる日本人や日本文化の魅力を理解することである。本育英会は、今後、対象の範囲を広げることも視野に入れている。専門分野の習得のためにより多くの青少年が平等な機会を得られるようモルドバの他地域の青少年にも奨学金を給付する可能性を持っている。
本プロジェクトが、専門家の育成、モルドバの経済の向上、専門的・人間的に他国の人々との新しい協力関係の樹立、また、世界平和のため全世界の人々との友好関係の構築に寄与することを、設立者は、望んでいる。
5.支援の要請:本プロジェクトは、国籍、性別、年齢、個人あるいは団体を問わず、本プロジェクトの目的に賛同してくださる全ての方からの支援を心より要請申しあげます。ただし、本プロジェクトは、宗教活動や政治活動、ビジネス活動をするところではありません。本趣旨をご理解の上ご支援賜りたく要請申しあげます。
6.問い合わせ先
モルドバ復興支援協会 molkorjp@ybb.ne.jp 電話 078-594-2785
※設立者 川村容子に直接問い合わせができます。 wavoc_moldova@yahoo.co.jp
7.支援金の送付方法 
郵便振込による方法 ※お振込の際、お振込人(依頼人)のお名前の頭に「395」を付けてお振込下さい。
【口座番号】記号 14370-2 番号 57427381
【口座名】 モルドバ復興支援協会
現金書留による方法
モルドバ復興支援協会 〒651-1132 兵庫県神戸市北区南五葉3-2-35
電話番号 078-594-2785
以上

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